第三話 六種十四の唐手の型

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 唐手の型は十四作られました。いずれも在来の型をを学校体操用に改編したと考えられますが、改編したのは糸洲安恒先生です。具体的には、
基本型として、ナイファンチ三個、平安五個の計八個
その他として、パッサイ二個、公相君二個、チントウ、五十四歩、各一個で、計六個
 合計すると、14個となります。これを六種十四の型と申します。これが原初唐手すなはち、学校体操用の型です。

 この型は軍事訓練に耐えられる体力づくりを目指したもので、格闘よりは西洋式の集団訓練を目指したと考えられ、逆突きも多用されています。ですから原初唐手の型は。西洋式学校体操と言えます。
 大正期に商業学校(現在の那覇商業高校)で採用された唐手は、宮城長順が創始したものですから、これは原初唐手とは別系統なのでここでは触れません。

 しかし、型は従来は一人の人は一つか二つ程度しか行わなかったようで、いくら学校体操と言っても十四は多すぎたようです。十四も型の練習をしていては、格闘技術を練習する時間がなくなりますから。

 このように唐手の型は六種類で、細分化しても十四個しかありません。しかし、現代に行われている形は九十種類前後に達すると思われまあす。これは糸東流の創始者である摩文仁賢和が形収集家であったことが大きいと思います。空手競技が盛んになり始めた昭和三十年代に、糸東流の形は70種前後あったようです。
 当然、これは格闘技術から離れて形体操競技とも言うべきものに変質しました。

 これを要約すると、沖縄芸能として形から、軍事訓練用としての学校体操の型十五個が編成され、更に形体操競技のために、90個前後にまで増えたと考えられます。

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